ねこちゃん旦那のトレード日記

日々のトレーディングと相場観につき書き連ねます

1995年の記憶

私がまだ駆け出しであった1995年は本当に波乱の年でした。

まず年明けに阪神大震災。1月17日早朝の出来事です。犠牲者は6,434人とあります。会社の知り合いもご家族が何人か犠牲になった記憶があります。

次はベアリングス事件。こちらのほうが私には影響が大きかった。女王陛下の銀行とまで呼ばれた名門銀行が、一トレーダーの責任により倒産しました。1990年前半はまだ金利も高かったこともあり、先物ボラティリティはそこそこありました。1995年は年初から値幅が大きかったように記憶しています。張本人であるニック・リーソン氏は、シンガポール大阪市場を使い、ワンショット数百枚単位でのトレードを行っていました。日経ミニ先物の無い時代の数百枚です。彼は上記の阪神大震災で大きな損失を被り、その挽回のために大きなトレードを繰り返したようです。確かロング一辺倒で、どんどん踏み上げてくる。

実は現在開示しているスイングチャートの原型は当時からあり、私も少枚数ですがポジションを取っていました。19,000円手前だったかな、数百円あっという間に買い上げてき、私は売っていたポジションをドテンするかどうかを迫られました。

私の逆指値がオファー側になり、誰か成り行き買いすれば私の逆指値は執行される、というトイレにも立てない状況になり、私はクイック端末を凝視しました。何秒経ったのでしょうか、すいぶん長く感じましたがスルスルと値が下がっていく。「助かった」。脱力感で言葉が出ない。

ベアリングス銀行は、2月に約1,380億円の損失を出して倒産。私は上記の出来事を「株価を動かすのは神意である。人智の及ばないもの。」と心に刻みました。

そして3月20日はそう、地下鉄サリン事件。昼頃救急車のサイレンが鳴り、それは別に珍しい事象ではないのですが、ニュース速報で事実を知り震撼しました。株価は大きくは動かなかった記憶があります。

その後は円高。4月19日に79円25銭を付けました。株価は急落。私が若林栄四氏にはまったのはこの頃です。80円を予想した伝説のディーラーとして。

この円高を阻止するために、強力な円売り介入と日銀金融緩和を7月に行い、1995年後半から株価は持ち直して96年の高値を迎えます。